Saarahat’s blog vol.1

兼ねてからHPを充実させる事を考えてはいたが、何を書くことが適当なのか思いつかなかった。そのために長い間手を付けらずにいた。しかし今、確実に人生のある章が幕を閉じ、そして私の内なる神は次の章をこの現実世界に展開させるために、すでに幕を開いてしまった。

そこで、これから始まる新しい章の展開について、私なりの考察を書き綴ってみることにする。この試みが読み手にとってどんな影響を与えるものか、敢えてそこは考えないことにする。なぜなら、このページは私の部屋だからだ。

従ってつまらない言い訳も解説も、敢えてしないことにする。そうすることは今の私にとって重要な挑戦となるはずだ。

しかし、もし一人でも私に興味を持つ人がいて、私の素顔を見たいと思うのであれば、書籍には表わす事の出来ない実像を、ここでは見ることが出来る。

ヒューマノイドとドラコニアンの初のハイブリッドとして誕生した1号(後にルイイと名付けられた)として、エジプト最盛期の女性神官として、イエスの娘Saarahatとして、宗教革命の黒幕として・・・ここに挙げれば何頁も割くことになるが、長く生きた私の魂とマスターソウルが最終章を飾るに当たって、ここに書き綴ることは、何らかの価値をもつ記録となるはずだ。

 

第1話

何かが始まってしまったら、もう誰にも止められない。まして振り返ることも引き返すことも出来ない事を、私はよく知っている。

「覚醒への旅」の執筆は、その何・か・が始まったことの証だった。そして完全に前章が終わりを遂げたことを意味している。

一昨年(2016年)の春あたりから、私は得体の知れない焦燥感に苛まれていた。何か新しい事が始まるために、「急いで片付けておかなければならない。」という思いに掻き立てられる。しかし、現実的には何も急がなければならないようなことは起きていなかった。

私は活動を整理して自分に余白の時間を与える必要があると感じた。するとその時イエスは言った。「月2回のうち、1回の授業はWeb配信にするように」今までの彼ならあり得ない言葉だった。

しかし、そのときの私は、既にイエスにとっても私自身にとっても機が熟した事を直ぐに悟った。それは、これから予測できない困難を引き受けなければならないという漠然としたものだったが、予想できないのだから、それ以上考えることは無用だった。ただその時が来たのだと受け入れた。

その困難なプロセスは長いようで実は非常に短く、そして直ぐに次のプロセスが始まることもすでに感じ取っていた。一方で私のエゴは、何時までも安全毛布にすがりつこうとする子供のように現状維持を夢見ていた。

だから私は既に知っている未来からできるだけ目を逸らしていた。それを見れば悲しみの重さで息が出来なくなり、ショックのあまり卒倒しそうだったからだ。私がかつての夫達を失ったことと重なり、父イエスを失ったときとも重なる感覚だった。

出来るだけ知らない振りをして、それでも淡々と準備を進めた。私が最も避けたい現実を迎えるための準備だ。

そう、かつての母マグダラのマリアが夫の神聖なる死を準備するため、また、その先に続く彼女の魂の本当の役割を果たすために婚姻したときと同じように。私は無意識のうちに、予想外に起きる夫の死と、私自身がその先に続く魂の道へとシフトする準備をしていた。

 

私の夫はついに2017年水瓶座時代の幕開けの年の9月1日に死を遂げた。私にとっても非常に大きなイニシエーションだった。夫は生前病気一つする事は無く、全く医療には無縁な人だった。

それなのに、私は夫を抱擁する度、「いつまで彼を触れることが出来るだろう・・・」と思ってしまう自分を、彼の瞳を見つめる度、彼の魂が手の届かないところにあると感じる自分を否定し続けてきた。

しかし、いつだって私の予感は外れない。2017年2月、夫は急性心不全に陥り、その後はぎりぎりまで入院する事を拒み続け、まるで磔に合うかのように痛みと苦しみを受け入れた。

これは彼自身が、自分の魂を最高の高見へと昇華していくプロセスだった。

 

8月6日の夜、夫が横たわるベッドにはたくさんの精霊が集まり、神聖さが極まっていた。私は静かに言った。「明日の朝奇跡が起きなければ病院に行来ましょう。」夫は「そうだね、これがお互いの限界だ、あとは内なる神、スピリットの采配に全てを委ねるだけだ」と言った。

信じがたいほど静かで、祝福に満ちた確固たるものが部屋全体を満たしていた。

 

翌7日奇跡は起きなかった。すでに一歩たりとも歩くことが出来なくなっていた夫は、救急車で搬送されて入院。亡くなる前の3週間は日に日に「人」を逸脱して、聖者としてのスピリットへと変貌してゆくのが手に取るように解った。

担当医師や看護師達から、「ご主人はいったいどんな人だったのですか?死に直面して、こんなに激しい苦しみを受けながら、こんなに思いやりをもって優しく、穏やかでいられるなんて!」と口々に言い、私の元でひとしきり涙を流してくれた。

夫は自分を担当してくれる全ての人達に祝福と感謝を表わしていた。そして、私の心の準備が整うのを最後まで辛抱強く待ってくれた。常に大きな愛情をわたしに注ぎ続けていた。

夫と共に過ごした17年は、私がこの先の計画を遂行して行く上で、必要な経験を与えられてきた年月だったと言える。私の未熟さは、彼によって育てられた。そして私は母マグダラのマリアが父イエスをこの上なく愛したと同じように、夫を愛した。だからこそ、必死で掴んでも、手のひらをするすると抜け落ちてゆく砂のように、私の元から去って行く彼の「死」を受け入れる事ができた。

 

かつての私は、両親の気持ちも、関係性もよく理解していなかった。しかし今は違うだろう。少なからず母の思いは痛いほどよく分かるようになった。

彼女は常に聡明だった。美しい声でよく笑う人だった。そして静かに一人で泣く人だった。よく耐え、誰よりも柔軟で強かった。

そしてイエスの唯一の理解者だったと言えるだろう。彼女は夫の死の意味するところをよく理解し、それを受け入れ、祝福した。